「光の中で、みえてきたもの」
ファインダーの中で、世界が一つに結像していく。朝陽の中で、まだ眠たそうに彼女が毛並みを揃えている。
僕はその後ろにしゃがみ込んで、ピントリングを操作して世界を一つの「絵に」していく。
オートフォーカスを普段使わなくなったのは、簡単な理由だった。指でピントを合わせるのはとても楽しい事に気付いたからだった。
自分の指の動きに連動して、世界の中が一つのフォーカシングスクリーンの上に像を結んでいく。キチンと造られた一眼レフの光学式ファインダーをのぞいてしまうと、他のフォーカスシステムに戻れなくなるほどに心地よいものだ。他にも、M型ライカの二重像合致式のレンジファインダーも一眼レフと双璧をなす心地よさになる。
今日はNIKONのFEを一つ持ち出している。安いネガフィルムを装填して朝の尾道を歩いた。とはいえ、もう二十年以上前の写真なのだけれど、今思えばすごくいい感じがする。このころは、教室や先生や、個展なんてやっていなかったものだから、なんとなく好きなものを好きなように撮り続けていた気がする。もちろんどちらが良い悪いというものではないのだけれど、なにかこう、画面が清々しい気がする。
一眼レフは気持ちいいと書いたが、これは言葉でどんなに綴っても表し切ることはできない。
カメラの質感、巻き上げの感触、シャッター音や、光学式のファインダー。露出計はボタン電池で駆動する指針式だったりすると、もうそのダイレクト感は体と一体化した感覚になる。カメラが目の延長にあるのだ。瞬きをするようにシャッターを切ることができた。
いまは残念ながら、光学式のファインダーは無くなりつつある。生産コストがかかり過ぎるから、カメラの値段が上がるのが理由のようだ。
高精細な液晶を使った電子式ビューファインダーは、現代においては光学式に迫る美しさにはなった。しかし、見え方や動きがなんとなく不自然な気がする。それは、光学式に慣れてしまった自分の目が慣れないだけなのだろうとは思うのだけれど。
富士フイルムが、そんな僕のために十年前に「ハイブリッドビューファインダー」という大発明をやってくれた。電子ファインダーと光学式ファインダーを融合させ、それぞれ別体で使ったり、融合させて便利に使えたりする。
いまならX100Fと、X-Pro2でそれを体感することができる。だからいまは、オフの日はX100F一択になってしまった。X-Pro2も欲しいのだけれど、X100Fの小ささも好きなのでお気に入りだ。半年で3万カットを切ってしまったけれど、これからも僕の目の代わりになって世界を切り取り続けてくれるだろう。
二十日の土曜日に、久しぶりに尾道に再訪します。お天気が少し怪しいけれど、良い一日になりますように。