加地ちゃん先生の blog

加地ちゃん先生の、日々の活動について語りつくしていきます。

「あの頃の、光と、感動と」

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黒い自転車の前かごの中で、ナショナルのトランジスタが朝の番組を流している。小さなスピーカーから流れる掠れたような音は、まだ誰もいないこの、埋め立て地の広い路を静かに流れていく。

やっと補助輪なしで乗れるようになったのはほんの数年前のことなのだけれど、同級生のT君は今日はお休みだから、僕は一人でペダルを漕いでいた。庚午橋のたもとにある「カヤノフィッシングセンター」で買った、150円のオキアミのハーフブロックが今日の餌だ。

西区商工センターは、僕らが小学校の時にはまだ、ほとんど建物はなくて広大な土色の土地だけが広がる場所だった。人の手がまだほとんど入っていなかったから、今思えばあれほど生命感のある海が、家の近くにあったことが奇跡のように思える。

「玉椿」という4.5mの振り出し延べ竿が今日のタックルだった。今で言う己斐駅のそばの釣り道具屋さんで2980円で買った。思えば小学生の僕には大金だったはずで、多分お年玉かなにかの積み立てを使って買った記憶だ。

玉椿に1.5号のナイロンラインをつないで、大好きな玉ウキをゴム管に固定する。針は3号の袖針で、ひとつひとつ、自分の手で結んで作った自作の仕掛けをお菓子の箱を切り抜いて作った仕掛け巻きにセットして挑んでいた。

静かな海面が、朝の遮光をゆっくりと受けて大きな波動で揺れている。まだ周囲に他に釣り人はいなさそうだから期待ができる。

お父さんに教えてもらったポイントに一人で自転車で来るようになったのは小学四年生の頃だろうか。今思えば結構な大冒険だ。

袖針に、解凍しかかっているオキアミのブロックから、たった一匹のオキアミをつまみ出して、丁寧に針に刺す。オキアミの身体の中心に綺麗に針を刺すのがポイントだ。あくまでも「ナチュラル」に魅せるのが小さな釣り師のこだわりだった。胴体の側面から、ほんの僅かに針先がのぞく感じ。これならきっと、魚も騙されるに違いがないから。

ゆっくりと、自慢の仕掛けを堤防のすぐ下の日陰に振り込む。どす黒いような、深緑の海中に静かに一匹だけのオキアミが潜行していく。仕掛けが完全に伸び切ると、息を吹き返したように玉ウキが「ピコン」と、海面に立ち上がった。この瞬間が大好きだった。魚なんて釣れなくてもいい。いまここは、僕一人の専用ステージなのだ。

しばらくののち、玉ウキに変化が現れる、波のうねりの動きと違うベクトル方向に時々、固定されたような感じ。下で魚が餌に反応しているのだ。玉ウキのてっぺんには、もう一つだけマッチ棒のような頭のついた「目印」がついていて、そのウキの傾斜方向が理解できるように作られていた。単なる玉ウキであれば、ウキ自体の傾きは目視するのが困難だからだ。僕のお気に入りのウキだった。

その瞬間、「ピュッ!」と言う言葉がぴったりと来る速度で玉ウキが海中に消し込んだ。ヒットだ。玉椿は子供の僕にはとても長いロッドだったから、特に慌てることはなく静かな合わせで「その獲物」の口に袖針をフッキングさせることができていた。小学生の僕には強烈なファイトが始まり、竿の穂先がグングンと海中に引き込まれていく。この瞬間も大好きだった。深い深度の奥で銀色が金色にも見える魚体が反転して、時々「キラッ」と光る。魚の側面だけが持つ光沢だった。海上から海中を見た時と、海中から海面を見た時に、周囲に擬態するために魚類が進化した結果、背面は黒く、側面、下面は白くなった結果だった。針に掛かった魚はその摂理を無視して全力で針を外そうとする。上も下もない。そのカラーリングは美しく、その後の経験からドイツ軍の大戦機について言えば全く同じ理論で機体の塗装がされていることにも気付き感銘を受けたものだった。

しばらくのやりとりののち、海面に浮かんできたのは20センチ強の海タナゴだった。美しいフォルム。例えようのないネイティヴな存在。スーパーに並んでいるパックのお魚の存在とは全然違う生命感の有様だった。僕のお気に入りの、オリンピック記念の五輪マークが入った子ぐまのミーシャの絵の入ったクーラーに、海タナゴは収まった。今夜のおかずは、海タナゴの煮付けになるだろう。小さな僕は、この海のそばで遊べる幸せを全身で感じながらまだ、朝の覚めやらぬ町内をペダルを漕ぎながら帰宅していく。そんな、あのころの記憶。

今年は釣りを再開していこうと思います。社会人になってからはバス一本でしたが、釣り場もそこそこ遠く気軽にいく感じではないので、あの頃の想い出をたどりながら、たまには海釣りでもしてみます。いいリフレッシュになりそう。今日も、良い日に。