「ふーさんのよる」
ふーさんにきた。ふーさんとは、五日市に流れる八幡川のほとりにある、小さな喫茶店だった。
二十一年も前のことだから、今にして思えば遥か悠久の記憶の彼方のお話になる。
ふーさんではその夜、飛び入り参加的ライブが開かれることになっていて、ギターを生まれて初めて手にした三十歳の僕は、二ヶ月の練習期間の後にいきなりライブに参加したのだった。
もちろん生まれて初めて二ヶ月の練習なものだから、十分とは言えない内容だったかもしれない。でも、その夜は今でも昨日のことのように思い出せる、大きな出来事になった。
いくら興味があってやってみたいとはいっても、さすがにいきなりのライブ。あと二人で僕の番だ。ハーモニカもあるから大変。ギターもまだ触ったばかりなのにハーモニカに歌も。だんだん時間が迫ってくる。心臓が張り裂けそうだとはこう言うことを言うのに違いがない。ああ、この時間が止まって仕舞えばいいのに。。
いよいよ僕の番だ。小さな喫茶店の中にはそれでも四十人のお客さんが来てくれている。一段高くなったステージの椅子に座る。一斉に八十の瞳が、ただ僕だけを見つめている。こんな体験は初めてだった。ついに心臓が破裂する時が来たのだ。。
その瞬間、とたんに心臓の鼓動はゆっくりになっていく。ああ、張りさける前に寿命がきたのかもしれない。そんな錯覚に陥る。なぜが、心が平安に落ち着いて行く。
「心地いい」それがその瞬間の感覚だった。
不思議な感覚だった。そう、いわゆる「俺の歌を聴け」という感覚とはこれのことなのかと思った。実に気持ちいい。こんな感覚が自分の中にあったなんて。。
それからというもの、幾度となくライブに出させてもらい、最終的にはライブハウスを貸し切ってワンマンライブまで開くまでになった。あのころ。
今ではもう、しばらく人前では弾いていない。時間がないとか、やる気が無くなったとか、そういうのではない。模型の合間に、やさしくアルペジオの曲を弾き語ったりもする。ギターとは不思議な楽器だ。決められたコードを間違いなく押さえさせすれば、大好きな音が正確にサウンドホールから、ギター全体から溢れてくる。掛け値なしの楽しさだった。
それから僕は、歌が大好きになった。
中学生のころ、音楽の時間に「歌のテスト」というのがあった。みんなの前で、先生のピアノ伴奏の前で歌うのだ。あれほどの屈辱はなかった。大嫌いだった。
しかし今は、あのころはなんだったのだろうかと思えるほどの変わりようだ。ギターを始めてから性格もぐっと変わった。人前に出ることが多くなったので友達も増えたし、僕の名前を知ってくれる、人も増えた。
これからの未来がどんな世界になるか、まだ想像もつかない。でも、あの頃の思い出は僕の心から消えることはないし、不思議な自信でもある。小さな問題もだんだんつまらないものに思えてくる。自分の可能性はもっともっと、高い次元に在るのだ。立ち止まっている暇はない。チャレンジすれば、必ず道は開かれるだろう。そんな思い出を、思い出させてくれた、ある夜のライブハウスから。