加地ちゃん先生の blog

加地ちゃん先生の、日々の活動について語りつくしていきます。

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「あの日の旅路から」

生まれ変わった光が遠く、あの闇の向こう側から流れていく。

世界はまだ、三十度の夏を脱ぎ捨てられずにいて、僕はそれを空の上から眺めている。

ここにきたのはもう何百回目なのかも思い出せないのだけれど、やはり夜の景色はまた格別のものがある。

遠い海の向こうでアッセンブリーされた自転車。

たくさんの夢を乗せて夜の光の中を銀河鉄道が流れていく。

向かう先はアンドロメダかもしれないし、糸崎駅なのかもしれない。

ただ僕は、そんなことなんてどうでもいいくらいに大好きな景色をD700のファインダーの中にとらえ続けていく。撮ったときは夢中で、この写真の中にブロンプトンが写っていたなんて気づく余裕もなかったのだけれど、やはり写真は面白い。

今日もまた一人の青年に、自分の思いを熱く届けることができた。

明日は何を、伝えていけるのだろうか。

三日目の写真教室が、今から楽しみでワクワクしていく夜。

 

Nikon D700

AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-200mm F2.8G

 

 

「あの日の光、キツネの嫁入り」

f:id:LAPIN1791:20190810210051p:plainあの頃の色や音や、風や光が、網膜の奥からそのキオクを蘇らせてくれる。

今日初めて「カメラ」を触った彼の眼がキラキラと輝いている。その光が窓の外から漏れてくる遮光カーテンの隙間から、見える景色と融合していく。

カメラの古い、新しいは、実はそんなに写真の良し悪しに影響はしないと感じていて、古くても「良い」ものはどんどんその良さをアピールし、伝えていくようにしている。大きくて、重たくて、全身金属製だから、人気のなかったというGXRが、僕のカメラバッグから卒業していった。

新しい主人を迎えたカメラは、どことなく嬉しそうでいてすこし、寂しそうにもみえた。

僕は府中家具のおじいさんのように心の中で、「大事に、してもらいなよ」という。物にも命や感情があると思っている。大事にしてあげればあげるほど、奇跡を起こしてくれる道具たち。

僕はまた今日、一つの別れと引き換えに、新しいフォトグラファーを尾道で送り出すことができた。

「ふーさんのよる」

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ふーさんにきた。ふーさんとは、五日市に流れる八幡川のほとりにある、小さな喫茶店だった。

二十一年も前のことだから、今にして思えば遥か悠久の記憶の彼方のお話になる。

ふーさんではその夜、飛び入り参加的ライブが開かれることになっていて、ギターを生まれて初めて手にした三十歳の僕は、二ヶ月の練習期間の後にいきなりライブに参加したのだった。

もちろん生まれて初めて二ヶ月の練習なものだから、十分とは言えない内容だったかもしれない。でも、その夜は今でも昨日のことのように思い出せる、大きな出来事になった。

いくら興味があってやってみたいとはいっても、さすがにいきなりのライブ。あと二人で僕の番だ。ハーモニカもあるから大変。ギターもまだ触ったばかりなのにハーモニカに歌も。だんだん時間が迫ってくる。心臓が張り裂けそうだとはこう言うことを言うのに違いがない。ああ、この時間が止まって仕舞えばいいのに。。

いよいよ僕の番だ。小さな喫茶店の中にはそれでも四十人のお客さんが来てくれている。一段高くなったステージの椅子に座る。一斉に八十の瞳が、ただ僕だけを見つめている。こんな体験は初めてだった。ついに心臓が破裂する時が来たのだ。。

その瞬間、とたんに心臓の鼓動はゆっくりになっていく。ああ、張りさける前に寿命がきたのかもしれない。そんな錯覚に陥る。なぜが、心が平安に落ち着いて行く。

「心地いい」それがその瞬間の感覚だった。

不思議な感覚だった。そう、いわゆる「俺の歌を聴け」という感覚とはこれのことなのかと思った。実に気持ちいい。こんな感覚が自分の中にあったなんて。。

それからというもの、幾度となくライブに出させてもらい、最終的にはライブハウスを貸し切ってワンマンライブまで開くまでになった。あのころ。

今ではもう、しばらく人前では弾いていない。時間がないとか、やる気が無くなったとか、そういうのではない。模型の合間に、やさしくアルペジオの曲を弾き語ったりもする。ギターとは不思議な楽器だ。決められたコードを間違いなく押さえさせすれば、大好きな音が正確にサウンドホールから、ギター全体から溢れてくる。掛け値なしの楽しさだった。

それから僕は、歌が大好きになった。

中学生のころ、音楽の時間に「歌のテスト」というのがあった。みんなの前で、先生のピアノ伴奏の前で歌うのだ。あれほどの屈辱はなかった。大嫌いだった。

しかし今は、あのころはなんだったのだろうかと思えるほどの変わりようだ。ギターを始めてから性格もぐっと変わった。人前に出ることが多くなったので友達も増えたし、僕の名前を知ってくれる、人も増えた。

これからの未来がどんな世界になるか、まだ想像もつかない。でも、あの頃の思い出は僕の心から消えることはないし、不思議な自信でもある。小さな問題もだんだんつまらないものに思えてくる。自分の可能性はもっともっと、高い次元に在るのだ。立ち止まっている暇はない。チャレンジすれば、必ず道は開かれるだろう。そんな思い出を、思い出させてくれた、ある夜のライブハウスから。

「駆け抜ける光の調べに」

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アコースティックギターの軽快なリズムにのせて、パーカッションとその二つを包み込むようなベースのサウンドがライブハウスを感動の渦に巻き込んでいく。

久しぶりにスイッチが入る。カメラは目の延長線上にあり、僕の瞬きと同調するようにその瞬間々を、確実に切り取っていく。

心地よい感覚!

それにつきる。

小さなX100Fは羊の皮を被った狼だと僕は思っている。限られた焦点距離でしか使えないのだけれど、その限られた構図だからこそ「斬れ味」は格別なのだ。

ハイブリッドビューファインダーを右の眼で見、左眼はカメラの外側において両目で被写体を捉える。ライブ撮影ではファインダーの外の出来事も常に同時に捉える必要がある。次の瞬間にも、かっこいい瞬間は次々と目まぐるしく立ち起こっていく。気がついた時には良いシーンはもう終わっている事が多い。演奏者さんが複数いらっしゃる時は、その気遣いは何倍にも膨らんでいく。

さらに、右眼の下側にある背面液晶画面に映る背後の人の位置や行動も同時に把握していく。X100Fのアイセンサーが僕の瞳を認識すると背面液晶はブラックアウトする。その瞬間に後ろ側を確認できるバックミラーになる。カメラマンはけして、お客様の邪魔をしてはならないのだ。

三次元で空間を意識することは良い写真を残す第一歩だと思っている。全方位に意識を向けながらベストショットをモノにしていく。「今夜は手応えがあった!」という感覚に包まれるとカメラマンは幸せだ。

明日も、良い仕事をしていこう。

「光と月が出逢う場所で」

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十三年と言う刻を越えて、再び出会う月と光。

カメラはフィルムからデジタルに変わってしまったのだけれど、それ以外の何もかも、あのころのままだ。

静かな空間に、六本のスチール弦から生まれる感動が響き渡っている。僕はX100Fの光学式ファインダーにただ、その姿をとらえ、千回のシャッターを切った。

千枚の想い出はまた、新しい刻をきっと、語り尽くして行くだろう。

十三年後に僕は、どこでなにをしているだろうか。もしもデジタルカメラがなくなる日が来ていたとしても、あの頃のキヲクだけはこの、瞳と心の中から消えることはないだろう。

世界はつながって行く。ただ、前へ向いて、前を向いて、前に歩いて行きさえすれば、すべての出来事はやがて一つになり、そして未来を育んでいくだろう。

僕が僕らしく、あり続けるために。

今日を美しく、そして逞しく。

そしてあの月の光のように、旅立ちの日を、その優しさで包んで。

「光の中で、みえてきたもの」

ファインダーの中で、世界が一つに結像していく。朝陽の中で、まだ眠たそうに彼女が毛並みを揃えている。

僕はその後ろにしゃがみ込んで、ピントリングを操作して世界を一つの「絵に」していく。

オートフォーカスを普段使わなくなったのは、簡単な理由だった。指でピントを合わせるのはとても楽しい事に気付いたからだった。

自分の指の動きに連動して、世界の中が一つのフォーカシングスクリーンの上に像を結んでいく。キチンと造られた一眼レフの光学式ファインダーをのぞいてしまうと、他のフォーカスシステムに戻れなくなるほどに心地よいものだ。他にも、M型ライカの二重像合致式のレンジファインダーも一眼レフと双璧をなす心地よさになる。

今日はNIKONのFEを一つ持ち出している。安いネガフィルムを装填して朝の尾道を歩いた。とはいえ、もう二十年以上前の写真なのだけれど、今思えばすごくいい感じがする。このころは、教室や先生や、個展なんてやっていなかったものだから、なんとなく好きなものを好きなように撮り続けていた気がする。もちろんどちらが良い悪いというものではないのだけれど、なにかこう、画面が清々しい気がする。

一眼レフは気持ちいいと書いたが、これは言葉でどんなに綴っても表し切ることはできない。

カメラの質感、巻き上げの感触、シャッター音や、光学式のファインダー。露出計はボタン電池で駆動する指針式だったりすると、もうそのダイレクト感は体と一体化した感覚になる。カメラが目の延長にあるのだ。瞬きをするようにシャッターを切ることができた。

いまは残念ながら、光学式のファインダーは無くなりつつある。生産コストがかかり過ぎるから、カメラの値段が上がるのが理由のようだ。

高精細な液晶を使った電子式ビューファインダーは、現代においては光学式に迫る美しさにはなった。しかし、見え方や動きがなんとなく不自然な気がする。それは、光学式に慣れてしまった自分の目が慣れないだけなのだろうとは思うのだけれど。

富士フイルムが、そんな僕のために十年前に「ハイブリッドビューファインダー」という大発明をやってくれた。電子ファインダーと光学式ファインダーを融合させ、それぞれ別体で使ったり、融合させて便利に使えたりする。

いまならX100Fと、X-Pro2でそれを体感することができる。だからいまは、オフの日はX100F一択になってしまった。X-Pro2も欲しいのだけれど、X100Fの小ささも好きなのでお気に入りだ。半年で3万カットを切ってしまったけれど、これからも僕の目の代わりになって世界を切り取り続けてくれるだろう。

二十日の土曜日に、久しぶりに尾道に再訪します。お天気が少し怪しいけれど、良い一日になりますように。f:id:LAPIN1791:20190716065511j:plain

「あの頃の、光と、感動と」

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黒い自転車の前かごの中で、ナショナルのトランジスタが朝の番組を流している。小さなスピーカーから流れる掠れたような音は、まだ誰もいないこの、埋め立て地の広い路を静かに流れていく。

やっと補助輪なしで乗れるようになったのはほんの数年前のことなのだけれど、同級生のT君は今日はお休みだから、僕は一人でペダルを漕いでいた。庚午橋のたもとにある「カヤノフィッシングセンター」で買った、150円のオキアミのハーフブロックが今日の餌だ。

西区商工センターは、僕らが小学校の時にはまだ、ほとんど建物はなくて広大な土色の土地だけが広がる場所だった。人の手がまだほとんど入っていなかったから、今思えばあれほど生命感のある海が、家の近くにあったことが奇跡のように思える。

「玉椿」という4.5mの振り出し延べ竿が今日のタックルだった。今で言う己斐駅のそばの釣り道具屋さんで2980円で買った。思えば小学生の僕には大金だったはずで、多分お年玉かなにかの積み立てを使って買った記憶だ。

玉椿に1.5号のナイロンラインをつないで、大好きな玉ウキをゴム管に固定する。針は3号の袖針で、ひとつひとつ、自分の手で結んで作った自作の仕掛けをお菓子の箱を切り抜いて作った仕掛け巻きにセットして挑んでいた。

静かな海面が、朝の遮光をゆっくりと受けて大きな波動で揺れている。まだ周囲に他に釣り人はいなさそうだから期待ができる。

お父さんに教えてもらったポイントに一人で自転車で来るようになったのは小学四年生の頃だろうか。今思えば結構な大冒険だ。

袖針に、解凍しかかっているオキアミのブロックから、たった一匹のオキアミをつまみ出して、丁寧に針に刺す。オキアミの身体の中心に綺麗に針を刺すのがポイントだ。あくまでも「ナチュラル」に魅せるのが小さな釣り師のこだわりだった。胴体の側面から、ほんの僅かに針先がのぞく感じ。これならきっと、魚も騙されるに違いがないから。

ゆっくりと、自慢の仕掛けを堤防のすぐ下の日陰に振り込む。どす黒いような、深緑の海中に静かに一匹だけのオキアミが潜行していく。仕掛けが完全に伸び切ると、息を吹き返したように玉ウキが「ピコン」と、海面に立ち上がった。この瞬間が大好きだった。魚なんて釣れなくてもいい。いまここは、僕一人の専用ステージなのだ。

しばらくののち、玉ウキに変化が現れる、波のうねりの動きと違うベクトル方向に時々、固定されたような感じ。下で魚が餌に反応しているのだ。玉ウキのてっぺんには、もう一つだけマッチ棒のような頭のついた「目印」がついていて、そのウキの傾斜方向が理解できるように作られていた。単なる玉ウキであれば、ウキ自体の傾きは目視するのが困難だからだ。僕のお気に入りのウキだった。

その瞬間、「ピュッ!」と言う言葉がぴったりと来る速度で玉ウキが海中に消し込んだ。ヒットだ。玉椿は子供の僕にはとても長いロッドだったから、特に慌てることはなく静かな合わせで「その獲物」の口に袖針をフッキングさせることができていた。小学生の僕には強烈なファイトが始まり、竿の穂先がグングンと海中に引き込まれていく。この瞬間も大好きだった。深い深度の奥で銀色が金色にも見える魚体が反転して、時々「キラッ」と光る。魚の側面だけが持つ光沢だった。海上から海中を見た時と、海中から海面を見た時に、周囲に擬態するために魚類が進化した結果、背面は黒く、側面、下面は白くなった結果だった。針に掛かった魚はその摂理を無視して全力で針を外そうとする。上も下もない。そのカラーリングは美しく、その後の経験からドイツ軍の大戦機について言えば全く同じ理論で機体の塗装がされていることにも気付き感銘を受けたものだった。

しばらくのやりとりののち、海面に浮かんできたのは20センチ強の海タナゴだった。美しいフォルム。例えようのないネイティヴな存在。スーパーに並んでいるパックのお魚の存在とは全然違う生命感の有様だった。僕のお気に入りの、オリンピック記念の五輪マークが入った子ぐまのミーシャの絵の入ったクーラーに、海タナゴは収まった。今夜のおかずは、海タナゴの煮付けになるだろう。小さな僕は、この海のそばで遊べる幸せを全身で感じながらまだ、朝の覚めやらぬ町内をペダルを漕ぎながら帰宅していく。そんな、あのころの記憶。

今年は釣りを再開していこうと思います。社会人になってからはバス一本でしたが、釣り場もそこそこ遠く気軽にいく感じではないので、あの頃の想い出をたどりながら、たまには海釣りでもしてみます。いいリフレッシュになりそう。今日も、良い日に。