加地ちゃん先生の blog

加地ちゃん先生の、日々の活動について語りつくしていきます。

「四十年前の」

「すみません、ちょっとお尋ねしたいのですが」ある日の朝のこと、僕はそのおじさん(自分もおじさんだが)に話しかけた。ここに四十年ぶりに来たのにはワケがあった。海。海という場所は、僕の小さな頃からの原生の記憶であり、崇高な存在なのだった。

そこはとある漁港で、巨大な市場が併設されていた。当時は「西部開発団地」ともばれており、友人たちの間では「西部開発に釣りに行こうや」というのが恒例のセリフだった。いまは「広島市商工センター」なんて呼ばれているのだけれど、ボクラの記憶の奥深くでは、いまでも西部開発というほうがしっくりとくる。

当時はまだ、舗装路さえない荒野の広っぱだった。サンドイエローの道が延々も続く。僕らは愛車(自転車号)にまたがり、クーラーボックスと釣竿、買ったばかりの朝鮮ゴカイ(青虫)を詰めた新聞紙に包まれた包みを大切に持って西部開発に行ったものだった。

社会人になってからというもの、釣りはダム湖のバス一本になってしまった。なぜ海を捨てたのかは深い深い理由があったのだけれど、その当時の僕は「もう海なんて行かないだろうな」も、根拠もそんなに強くない変な自信に包まれていた。あれから三十年。やっとまた、海に行く日が来たのだ。

それはセンセーショナルな出来事だった。行きつけのスズキの仲良しのディーラーの課長さんが最近「タコのルアー釣り」にハマっているらしい。偶然僕も、「タコって面白そう」と思っていた矢先だったので、渡りに船とはこの事、実際に海に出かけるまでの時間はそう長くはなかったのだった。

課長さんに大体聞いては来たものの、三十年前とはだいぶ様子が異なっていた。釣り禁止の場所も多い。下手をしたら駐禁切られて叱られる可能性もある。草津港の傍にワゴンRを停めた。近くに釣り人が見えたからだ。とりあえず降りて岸壁に向かってみる。おじさんは6ftくらいのスピニングロッドを海中に入れて上下させていた。

「あのう、ちょっとお尋ねしたいんですが」

こんなとき、コミュニケーション能力を最大限に発揮できるのは十年前に習ったNLPのお陰だと思えるし、加えて温厚な性格が相手に威圧感など微塵も感じさせないメリットも役に立つ。

なんと、聞けばそのおじさんも「タコエギ」と呼ばれるタコ釣り用のルアーをスピニングロッドの先に結んでいるではないか。

少しの間、駐車スペースや、釣り禁止の場所、などを親切に教えていただいた。なんともアットホームな感じ。ダム湖ではあまり人には出会わないので新鮮な気持ちだ。同じ趣味の人であれば、途端に仲良しになれる感じがするのはこんな時によく感じるものだ。

そんなに時間もなかったが、これから1時間弱、ここを攻めてみることにした。おじさんは早朝からやっていたらしく「わしゃもう帰るでな」と言って、僕と同じワゴンRに乗って帰って行ってしまった。

結論から言うと、その1時間弱の間にバイト(ターゲットからの反応)はなかったのだが、自作したタコ用ルアーの操作性がすこぶる良好で、彼らを釣り上げるのに、もうそんなに時間は必要ではないと実感することになった(自画自讃)。

帰宅したら加地工房の仕事だ。模型製作、動画編集、写真現像と、休む間もないが、全ては「好きなこと」なので全く苦にはならない。このために、「産まれてきた」と自信を持って言える今日の自分なので、ある。f:id:LAPIN1791:20190814143528p:plain